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【雑記】最果てを目指す「紅錆」について【自作】

 「最果てを目指す」の紅錆EDについて語ります。
 最果てのネタバレ及び、他のゲームについてのネタバレも含みます。
 作者の思想、認識、理念など、多くの説教臭いことを含みます。
 ただし他者の思想などを否定する意図を持って記事を書いてはいません。
 そして作者の思想を受け入れられないと感じた場合、その感性を大切にしてあげてください。たとえそれがわたしの否定に繋がったとしても。

 上記を踏まえ、それでもという意思のある方は続きをどうぞ。






# 紅錆ED 話の流れ
 最後の敵を倒す → その場から去ると決める → 少女が介錯を求める → それに答える → Lv20で選択肢が可視化 → 選択肢を選ぶ → システム:それがあなたの意思ですか? → もう一度選択肢を選ぶ → ツキを殺害する → ツキの最後の言葉 → 機械は無言のまま → EDロール


 誰かが言いました。

「どうしてこうなったの?」

 わたしはそれを聞いて、

「あなたが選んだからでしょう?」

 としか思いませんでした。何か至極当然な、価値観が欠けている、認識が間違っている、そう感じました。
 恐らくわたしは「プレイヤー ≒ 主人公」と感じていて、紅錆に違和感を覚えた人は「プレイヤー ≠ 主人公」という認識が強いのだと思います。

 ゲームは総合芸術です。様々な芸術が組み合わさり、五感や感性を働かせて楽しむコンテンツです。
 他の明確な総合芸術と言えば映像、演劇などになると思います。次点で漫画やドラマCDなど。
 (料理とかいう唯一フルに五感使えるイレギュラーは放置しておく)

 こういった総合芸術と、ゲームでは決定的に違う要素が一点存在します。
 それは「没入感」です。
 主人公を自由に動かし、視点の位置を変えたり、物語に干渉したり、世界を自由に散策出来るのは他コンテンツではあり得ません。これはゲームというカテゴリにおいて代えがたい価値があるとわたしは思っています。

 本筋に戻ります。
 紅錆に違和感を覚えた人は没入していない、没入感が薄いと感じました。
 「プレイヤー ≒ 主人公」どころか「主人公を自分が動かしている実感」さえ薄く、物語は勝手に動くものであり、選択肢はプレイヤーが自らの意思で選び取るものでは無く、視聴者がチャンネルを切り替える程度の認識でしか無いのでしょう。故に主人公があのような行動を取る理由が理解できない、と。

 理解できなくて当然です。
 主人公は、あの機械は絶対にあのような行動を取らないのですから。
 もし、何かの間違いで、凶行を行うのであれば、それはプレイヤー、あなたの意思です。
 そういうEDとして描きました。その証として、遂に地の文すら消滅しています。

 最果ては意思の物語です。
 システムの中枢に意思が存在します。
 意思が機械に心を宿しました、意思がツキを最果てまで連れて行きました、意思が彼女を絶望と孤独から守りました。
 道中、多くの選択をしたはずです。概ね、選んだ選択肢に好ましい展開するように作りました。選ばなかったこと、諦めることさえも意思だと、わたしはそれを尊重したくてリソースが回復するなどの恩恵を用意しました。
 戦闘における判断、リソース管理すらプレイヤーの意思です。

 これに関してはわたしの力不足では無いと断言できます。
 だからと言って、紅錆に疑問を覚えた人の理解力の乏しさを見下しているわけでもありません。
 繰り返します、根本的に価値観が違うのだなと思いました。見えている世界が違うのだなと思いました。
 日常生活でも細かなコミュニケーションでよく感じます。当たり前、至極当然な世界の摂理です。

 こうした誰かとは違った、わたしの価値観が少しでも伝わればいいなと思います。
 ただこうして解説しても、まるで伝わらない可能性も十分あるなと割り切ってもいます。
 ついでに言うと紅錆肯定派も、今回わたしが語った内容が理解できない、否定したい、そう思う人も居ると思います。
 世の中そんなものだと思います。わたしは自身の価値観を大切にしますが、その中には誰かの価値観を優先したいという価値観もあります。
 だからこの文章を読んでいるあなたも、あなた自身を大切にしてあげてください。それがわたしの願いなのですから。


# 実装の流れ
 えぇ、まだ続きます。
 上記のみだと「わたしが正しいの!!」と大声で駄々をこねている子供に過ぎません。
 記事を公開するにあたっては、また別ベクトルの要因が欲しいです。

 紅錆自体は劇薬だと開発時から認識していました。
 Lv20で殺戮に酔っちゃった機械の犯行や、プレイヤーの激しい衝動を行えるEDの多様性にしても、

「二人で肩を並べて旅をしていくゲーム」

 で、あの展開はプレイヤーに対して酷い裏切りです。
 軸がブレてしまいます、エンターテイメントとして、存在するに値するだけの価値が無ければさっさと廃止するが吉です。
 開発終盤まで悩み続けていました、どのような演出にすれば、実装する大義名分が立つのだろうと。
 ある日、考えるポイントがずれていることに気がつきました。

「相棒が裏切った時、ツキはどのような反応をするのか?」

 絡まっていた糸が全て解けたような感覚。
 最初の約束、意思ある存在を利用している罪悪感――ツキは、強いんだぞ、と。

 ただそれでもエンターテイメントとしては足りませんね。胸糞悪いもの。
 なので他EDよりもロックを強固にしました。
 条件を満たしていないと、そもそも選択肢の文章が可視化されません、選択しても確認のメッセージが出ます、代替の効かないLv20という条件はそれなりに重いです(残滓を付ければ緩和されるのですが、それはそれでプレイヤーがLv20を超えるほど戦い/殺戮に酔っている証明ですし)

 またEDを全て見ても報酬を与えないようにしました。
 残滓ですらED同士は上書きします。
 同梱テキストでも、トゥルーやグランドEDは存在しないこと、複数のEDを回収する必要性は薄いことを示唆するメッセージを仕込んでいます。

 そんなこんなで実装されました。


# 需要

Q.それでもあの展開は作者以外に需要あるの?
A.あります!!

 プレイヤー何名かは、明確に紅錆が存在して良かったと感想をくれました。
 似たような展開の他作を挙げると、

・Bloodborne
 選択肢によって戦うか変わるラスボス相手に言葉無くして切りかかれる。

・DARK SOULS III
 世界を裏切った唯一の共犯者を、裏切ることができる。
 ゲーム画面で一切表示されないが、最後の最後で攻撃ボタンを押すことで実行可能。
 この辺りゲームプレイヤーの意思を尊重しているメタ的仕様で好きです。

・SEKIRO
 主やお世話になった方々を裏切ることができる。
 更に一緒に裏切った親もついでに裏切って、戦闘も無くサクッと殺れる。
 更に寡黙な主人公が作中唯一表情を得る(僅かに笑みを浮かべる)
 更に裏切った主の悲痛な叫び声が聞ける。
 ――あー! 最高かよ!(愉悦

 性癖拗らせた変態企業フロムの作品ばかりだって?


・UNDERTALE
 「誰も死ななくていいRPG」というキャッチフレーズの全年齢作品。
 マジで誰も殺さなくて、モンスター達と仲良しになってハッピーエンドを迎えられるのだが、逆に誰も彼も殺して専用のルートとEDまで用意されている。
 昔はPC版しか存在しなかったが、現在は様々なプラットフォームでプレイ可能。オススメ。


 特に似たシチュエーションは思い出せなかったので割愛しますが、主に他自由度の高いゲームでも善行と悪行、双方を選択肢として選べるようなゲームは、そのプレイヤーの意思決定の幅が評価されやすいです。
 シナリオが重視されているのであれば、善を貫くことの良さや報酬、悪を選んだ場合の糾弾や、敵として出て来る正義への期待、凶行に対する批難の声が期待されます。
 あくまでシステムとしてのカルマシステムであるのなら、善を貫くことの難しさに、報酬の重み。悪行を成すのであれば即物的な報酬と、重いデメリットなどがゲームデザインとして期待されているとわたしは感じています。

 ちょっと話は逸れますが「善性を維持することは難しく、それでいて悪と比べ報酬は減らすべきだ」という意見を最近耳にして目から鱗でした。ゲームデザインとしては双方等しくするべきだと感じていたのですが、これは確かに一理あるなと。
 そう。善性の報酬とは称賛であり、形無き成果であり、即物的な快楽に流されないことで、結果として悪を上回る報酬を与えられるなどと言う"貯金"では無いはずなのです。善性を保っている自身を認識することが何よりの報酬でなければ、善の本質が報酬という物質の重みによって揺らいでしまい、形骸化してしまうからです。
 閑話休題。

 こうした作品のいわゆる残虐性、そしてその残虐を選ばない選択の重要さ。
 そうしたものをわたしは大変評価しており、ネットの評価も無数に存在するので需要はあると思います。






# わたし/自分語り
 好き放題語ったので、もう少しだけわがままを。
 普段感じ、想い、抱いて、自分の大切な価値観だと守っているそれを、少しだけ。


 包丁をイメージしてください。あなたのお家にある、包丁で構いません。
 手に持ってください、どうしますか?


 料理をしますか? 料理はあまりしませんか? そもそも包丁がありませんか?
 誰か、行きずりの人を刺しますか?
 それとも、自らに突き立てたい欲求を堪えますか?

 意思とは、選択肢とは、そういうものだと思います。
 出来ること、やるべきこと、やらないこと、選択肢に無いこと。
 故に、諦めも、放棄も、自ら選び取った物だとしたら、わたしはそれを尊重したいと願っています。
 「最果て」にはそうした祈りを込めました。直接、こうして説教臭く言わなくても、気づいた誰かに伝わればいいと、いつも青空の下で夢見ています。




 わたしはあらゆる戦闘行為が美化されることは堪え難い人間です。
 勇者や、あるいは兵士が、正義のためにと、彼らにとっての悪を――誰かにとっての善を殺めることは、美化してはならないと思います。
 平時の殺人は悪行で、有事の殺人は偉業――認めます。全くもって同意します。
 ただ、それとは別に、殺人はいついかなる時でも殺人であることを誤認してはならない、そうも思います。これらの価値観は共存できます。

 生きるための殺生も、醜いことだと思います。
 害獣の駆除や、家畜の屠殺。動物が動物を狩る行為それすらも、結局は命を奪う行為に等しいと思います。
 保健所、猟師、兵士、誰かがしなくてはいけないことを、やってくれている人が居ます。
 わたしは彼らを尊く思います。そして金銭を支払うことで、自分の手を汚さない自身を、社会の枠組みが生み出す自然なこととは言え、酷く卑しいとも感じます。

 更に浅ましいことに、偉そうに語ったわたしには、小動物以上の存在を殺めた経験がありません。
 鶏の首を折るとかそういった物ですね。魚も恐らく無かったと思います。
 ただ昔、子供達により弄ばれた子猫が、手元で息絶える感覚がずっとずっと残っています。
 この経験は事実です。わたしは間に合いませんでした、ただ子供達が悪だったかと言えば、そんな事は無いと思います。成長に必要な経験だと信じています。
 そして感覚が手元に残っているというのも恐らく錯覚です、記憶ももう朧で、未だにネコを見る度に思い出しはするのですが、経験も記憶も感情も、全てが劣化し、なんとなく嫌だった、なんとなく自分は正しい、そう思い込んでいる程度だと思います。

 この文章を書いていて、いつか機会があれば命を奪うべきだなと感じました(もちろん合法的な手段で!)
 ただ実際にそのような機会を与えられても、なんとなく嫌で、昔の経験を盾に、誰か代わって貰うと思います。わたしはそんな人間です。ちっぽけで頭と口だけが大きな人間なんです。


 ただ現実で殺戮を忌避しているにもかかわらず、創作の中だと結構殺戮や凄惨な描写は好みです。
 現実で許容できない分、空想の中で楽しむタイプなのだと思います。
 幸せそうなキャラが居たら、是非その笑顔を曇らせたいです。それが自分や、自分の分身である主人公によってもたらされるものであるならば尚良いです。
 ただ不幸なキャラが居たら、逆に幸せにしてあげたいと思います。
「なんだお前サイコパスか愉悦部かよぉ!?」と自分でも思っていましたが、最近は気に入ったキャラのあらゆる顔を見たいだけかなと思ってます。

 それとは別に、物語自体は基本ハッピーエンドが好きです。
 ただ上記のように鬱展開も大好物なので、何度も何度も転ばされて、けれど最後は歯を食いしばって立ち上がるような作品が大好きです。




 それでは、この辺りで。
 この酷くエゴに満ちた文章が、書かれただけで満足することを願って。




 ――という〆の文章で、書いてから半年ほど読み直しては投稿するにはどこを削っても根本的に毒が強過ぎる、
作者本人が作品の解説を行うのは無粋だと、何度も何度も忘れることにしたのですがこれを見てくださいよ。


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 エゴサのサジェストがこの有様。
 この記事を投稿してから二ヶ月ほど遡れば、

『最果てを目指す 攻略サイト』『最果てを目指す wiki』『最果てを目指す 考察』

 など、ゲームタイトルっぽいサジェストがメインだったんですよ。
 一度理解してしまえばシンプルかつ、ほとんどの情報が開示されているゲームなので、

「攻略サイトとかねーよ! 欲しいなら簡単にでいいから作ってくれよ、わたしは嬉しいよ!?」

 と笑っていたのですが、現在はサジェストの一部だった、

『最果てを目指す 紅錆』

 という一文が根本に残っていて、

「あれ、これ半年以上経っても疑問に思っている、あるいは思う層が生まれ続けているのでは?」

 という杞憂に取りつかれました。
 ちょっと価値観が違い飲み込めなかった展開を、

「胸糞悪い展開だなぁ」「意味不明だな」「気持ち悪い」

 と思われ続けていたらと考えると寂しくなったので、作者自身が語り過ぎない矜持など今回は捨ててしまえと、久しくついったーで最果てについて語る機会が訪れたので、これを機にと公開用に本記事を清書しました。
 もし消化不良を起こしていた層が居て、もしこの記事を読んで頂けたのなら、理解してもらえるか、理解できずに忘れてもらえたら幸いかなと。
 理解したが嫌悪するのも全然ありです。直接言われたら流石に泣きますが、個人が自由な思想を持ったり、それを発信することは自由ですから。わたしや、わたしの思想を否定し自分自身の価値観をより固める踏み台にしてくれるのなら、それはもう光栄なことではないでしょうか。


『最果てを目指す チュートリアル』

 はい。紅錆が終わりなら、始まり担当のこっちが残っているのもマズイですが、こっちのほうはどうする気もありません。
 結構新作へ向けて本腰を入れ始めており、リリースして時間の経った過去作へ対応をするコストは、新作へ全てつぎ込むと完成が近づくし、余力があればクオリティもその分上がるのです。

 なので、

『チュートリアル 意味不明』

 の意なら「ごめん!」
 全体的にわかりづらいのはもうどうしようもないので許して。許さなくてもいいけど!

『チュートリアル ボス 倒し方』

 の意なら、

「初周でも三つぐらい解法あるから頑張って! 面倒なら倒さなくてもいいから! もし倒せたらあなたはこの世界で戦い抜く適正あるから! すごい!」

 になります。


 最果てについては大方語れることは語りました。
 何か疑問などがあれば、気軽についったーなどで訊ねてくれると嬉しいです。
 視認範囲内で最果ての話題を出されると、すぐに限界オタク化してしまうのは第一ファンなので見逃してください。

 それでは、あなたの紅き機械の意思が、悔い無き物だと祈って。
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2020年07月27日(Mon) 21:51
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2020年08月30日(Sun) 21:21












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