そこを舞台に暴れる犯罪者集団ネクロマンサーと、それに近接銃術を用いて対抗するプライベート・スペシャル・リビングデッド・ストーカーに属する主人公達により繰り広げられる世界を巻き込んだ戦い――が舞台。
まず悪かったと思う点から、あえて指摘しない部分以外はほぼ満点に近いので個人的な作品評価は高いです。
・感情移入が難しい
主人公二人、頻繁に変わる視点、いいところで切られて忘れた頃に戻るクライマックス。
目的や立場もコロコロ変わるし、専門用語の多い中少ない導入部分でわたしは凍京NECROという世界のどこに没入すればよかったのか教えて欲しい。
コン・スー攻略しているはずなのに、どちらの主人公と結ばれるのか戸惑っていたら気づいたらヒロインが主人公になっていた。
挙句群青劇と気づいた時点ではコン・スーのルートは終わっていた……結局このルートでは彼女、肌を見せることすらなかった気がする。
別に群青劇なのは構わないが、死人や機械を通して心とはなんたるかを語るのであれば、プレイヤーである自分が簡単に入り込める居場所を世界に残して欲しかったというのが本心。
・理解が難しい
雰囲気を意識しすぎて理解が難しい。
公式HPは見づらいし、タイトル画面に至る時間も長ければ、セーブデータを管理するのにも戸惑う。
優しくしろとは言わない、雰囲気を大切にするのは大切だと思う。
でも選ばせて欲しかった、Ctrlキーや設定で演出を飛ばせるだけでも随分変わったのではないか。
少なくとも一旦プレイを中断しふたたび再開するとなった時、演出時間を考えると若干の躊躇いが生まれたのは事実なのだから。
・テンポが悪い
展開が盛り上がり、そこにイレギュラーが!……という所で切られ、別の視点に移る。
数回程度ならもどかしさをスパイスに楽しめるだろうけれど、物語の大半でこれを行われてしまったら味が不味くなる。
移った視点でもクライマックスなので、移る前のクライマックスなんて戻った時には忘れてるんだよ。
戦闘シーンでも映像により既に描写されたことを文章で再度表されても今度は逆に「もう知ってるよ!」と叫びたくなる。
対して文章は心理描写だけ、もしくは淡々と状況を綴られると上手く魅せるなぁと素直に感嘆の言葉が出る。
・ご都合主義に見える
滅びかけた世界が一瞬で救われるのを見ると、どうしても「え、それだけでいいの?」と感想を覚えるのが人というもの。
綺麗な部分をクローズアップしすぎなのが原因かなぁと、コン・スールートで例えるならエチカの状態を認識しながらも無視するのではなく、しっかりと目視した上でそれを乗り越えて欲しかったのが個人的な感情。ただこれはテンポの悪さを生み出すし、結局は個人差だとも感じている。
そしてなんでみんな当たり前のように銃弾避けるの? 感覚関連の肉体強化してるって説明や描写あったっけ?
状況を見るにエクスブレインが構えや戦術から弾道を予測して、その射線から外れる、を基本としているのだと思うけれどそんな解説なんて頭に残っていない。もうちょっと説明が欲しい、世界よわたしを置いていかないでくれ。
挙句視認できない弾の中を大した傷もなく戦うし、一部の化け物はエクスブレイン使っている様子なくありえない動きをしてみせる。
また直撃しても防弾だからセーフ! 何度食らっても自動修復でセーフ! という状況も少なからず発生するのにも関わらず、決定打を与える時だけはそれが無くなりリソースの削りあいも無く気合でなんとかした感がやばい。
そういった疑問を拭いきれずにプレイを進めていたから、常にしこりが残った感じで物語を進めていた。
ただそのぶん納得できるだけ説明された、もしくは描写された戦いの結末には確かに困難を乗り越えた達成感を感じた。
ここからは良かった点。
感情に任せて不満点を挙げたが別にこの作品が悪いものだとは微塵も思っていない。
むしろ業界どころか、ニトロプラスという会社が自分達のハードルを上げ首を絞めているのがクリックするたびに感じられ大丈夫かなと思うほど。
特に戦闘や演出面を思い出すと、これから生まれるそういったものを求められる作品達にはこれを越えろというのは酷ではないか。
・演出
凍京NECROの特徴を挙げろといわれれば真っ先にここだろう。
3DCGを多用した戦闘シーンは圧巻の一言で、体験版に入っていた唐雲山との戦闘でもうお腹一杯だった。
文章を無視しても何が起きているかすぐに理解でき、なおかつ上手く見せるのだ。本来ありえないエフェクトをただの拳に発生させ、不要な部分を映さず必要な部分だけを見せるためのカメラアングル。
ニトロはノベルゲームとアニメの間に新しいジャンルを作ろうとでもしているのだろうか、こわい。
イラストの使い方も豪華。
ほんの数クリックで二度と見ることはないイラストも少なくはなく、別にここ使いまわしでいいのでは? と思う点でも必ず違うイラストを使う。
頼むから使いまわせ、そう思いながらゲームをプレイしたのは初めてだ。詳しいことはよく知らないが、このこだわりだけで懐が痛いことぐらいは想像できる。
イラストで思い出すのは食べ物。
何度も、というか日常シーンだとかなりの比率で食べ物が描かれていたと思うが、これがやたらおいしそう。
食べる際の心情描写はあまり掘り下げていないのだが、寒い中で食べる熱々の料理や、暖かい場所で食べるかき氷、雑踏の中で目にするファーストフードに、落ち着ける自宅でのカレー。
シチュエーションとイラストだけで食欲をそそられる。何度間食を考えたかは覚えていない、何度我慢できなかったのかは思い出したくない。
・音楽
個人的に電子音声は、生理的嫌悪を新しいコンテンツに対する敬意という理性で感情を抑える形で中立を保っていた。
ただサブコンのゲリラライブを初めて聴いた時、画面の中にいる人々に感応されたのかとても心地よく感じた。
以降タイトル画面や、エンディングで聴くたびに心地よい感覚を覚えたことは個人的に良い経験を得られた証明だと思う。
また他にも使用されている音楽も素晴らしいものが多く、状況が変わりそうになる度にそろそろあの曲流そうぜ? と思い、ソフトがそれに答えるよう物語が進むのは素敵な感覚だった。
攻略が進むにつれて徐々に人間らしくなるサブコンには子の成長を見守る親のような感情すら覚える。
タイトル画面やシステムボイス、ED曲は要チェック。気づけて本当によかった。
・おっさんと死に様
美少女ゲームの必然か、最終的に男が死に女達は生きる、という状況が多い。
仕方ないよね、と諦めてよく思い出してみれば、初めから考え方が違っていることに気づく。
これは男達を踏み台にして女達を映えさせる物語じゃない。
これは親の世代が、子供たちの世代に何かを託す物語だ。
物語が始まった時点で母親たちの肉体は死に、父親達の心は死んでいる。
かろうじて生き残っている彼らの物語は、凍京NECROが始まった時点では既に終わっているのだ。
だからぽんぽん男だけが死ぬ。美を求め死に、愛を探して死に、贖罪のために死ぬ。子に成長をして欲しくて、自分たちの罪を見せ命を終わらせる。
食べ物に並んで印象に残るイラストは大概誰かが死ぬ間際か、死んだ後のイラストだ。
中睦まじく頭を二つ吹き飛ばされるシーンはぐっと胸に温かいものが広がる、それを成し遂げた時尭のことを思うと尚更だ。
コン・スールートでのエチカや、霧里ルートの早雲の最期もそれはもう素晴らしいものだった。死んだはずの心が蘇った時に殺してくれと懇願したり、心も体も完全に死んでしまった後、エクスブレインに残った残りカスで何かを想う様子はネクロマンシーというテーマでなければ表現できなかったことだろう。
・総評
メッセージ性を重視した村正に対し、こちらは明らかにエンターテイメント性を重視している。
故に見た目は派手だが、心情は掘り下げられず、伝えたい何かは漠然と、そして浅く広くとしか表現できない。
自分の魂の作品とは胸を張ってはいえないが、ニトロの魂の作品をなりそこねとは決して評価できない、が妥当なライン。
質と時間に対し値段効率は間違いなくよかった、けれど自分の中に何かは残るだろうが村正のように自分を変える段階には至れないなぁと。多分好みの問題。
一番好きなルートはコン・スー。
結末や、それに至る過程はボロボロだけど、早雲の肉体を捨ててまで感情を伝えようとしたり、エチカの最期、時尭の覚悟、リザとイリアの並ぶ姿、これら全てを見られたのは個人的に一番気に入る要素としては十分だった。
一番好きなシーンは浜辺の風景。
ディスプレイの先、HMDやAR、VRなんでもいいので、こういったコンテンツが流行るようなら是非ニトロが再現して欲しい。
初めてその浜辺を見たときクリックが止まった、そして思ったのだ。
浜辺の風景、そのタイトルとは違う風景に戸惑いを、この作品が何を目的として作られたのか、そしてこんな施設(ディスプレイ)で味わうには勿体無いものだと。
あまりに感動を覚えて胸が苦しかった、そして一瞬膝上まで流れる波を幻視する。
それが収まって読み進めると、まったく同じことを早雲が考えていた、流石に笑ってしまった。
最後に。
もし神が居るのなら、是非証明して欲しい。
この風景に対し覚えた感情が、既視感を覚える時に発生する脳のエラーに関連するものではない事を。
この感情が、自分のものだって。