・1を振り返る
"超高校級の"という属性のおかげで、記号的ながらも物語を読み進めていけば実のところ人間味溢れるキャラ達。
そのキャラ達が閉鎖空間に閉じ込められ、デスゲームを強要されるという物語はとても多くの人を惹きつけたでしょう。実際その中の一人にわたしも存在していました。
パロディ含めた強烈なキャラクターや、人気声優の多用によりダンガンロンパというシリーズは順調な幕開けを遂げたと確信できます。
物語自体もデスゲームに求められるものが満たされており、また
推理部分は多くキャラやシステムが勝手に解いてくれており、難題を実際僅かな力だけにも関わらず大きくプレイヤーに解かせたように感じさせる充足感に、巧い作りだなぁと感心していました。
・2を振り返る
市場に広まっているデスゲーム界隈において、ダンガンロンパらしさを見せつけながらもジャンルとしてのデスゲームでは王道?を綺麗に走り切ってしまったダンガンロンパ1。
2では如何にそのハードルを乗り越えるかが問題点であり、ユーザーの期待と不安が渦巻く中――ダンガンロンパという作品はそれを綺麗に乗り越えてくれました。
前作とは想像もつかなかったような舞台設定に続編という手札を最大限に切り、狛枝というとんでもない魅力を秘めたキャラクターや、物語終盤におけるシナリオの盛り上がり、そしてそれを魅せる演出。
シリーズ物における二作目は評価が高くなるという法則が当て嵌まったパターンでしょう。わたしは2をかなり気に入っています。
・3と向き合う
五章までは素晴らしい物語でした。
二章までは更に素晴らしい物語でした。主人公交代を得て、弱気だった人間が徐々に精神的に強くなっていく成長物語。
そこから連続する必要悪である殺人。あぁ今回はこの方向性で行うのか、という期待は三章から裏切られるのですがまぁ些細な問題でしょう。
三章からは流れを変えながらもしっかりと魅力が残っており、奇抜なトリックが多い犯罪により
推理は難航しストレスは溜まるものの、それ以上に種明かしの時間は爽快感溢れるものでした。
問題の六章……の前に五章。
非常に自己主張が強く、人の想いや死を弄び、信条の欠片も見せなかった彼が脱落します。
劣化狛枝とも呼べる彼は最期の最期で首謀者かプレイヤー(わたし)に一泡吹かせ散る事になるのですが……後に語られる身の上は"誰かを笑顔にする犯罪を続ける組織のリーダー"
……。
…………。
……いや、君。一度や二度の失敗じゃ済ませられないほど笑えない冗談を今まで散々行って来たよね?
ということで一瞬上がった株は、すぐに元の位置よりも下まで落ちました。
最終章。
未だ仲間内で燻っていた首謀者が明かされ、始まりの事件を振り返るという熱い展開。
そして語られる"最初の犯人は冤罪"という事実。
あの。
あの、あの……?
殺意は抱いていたものの、真っ直ぐな想いを後続に託した彼女の犠牲が無意味なものだったと、首謀者相手に憤るシーンなのでしょうか。
ただわたしにこみ上げて来たものは
推理としてはかなり邪道に近く、デスゲームとしては完全にアウトであり、物語としてどうのこうのというまともな感想を抱ける状態にありませんでした。
そこから続く、今回のデスゲームという世界はなんなのかという事実。
"ダンガンロンパV3"はゲームであり、V3の世界から見てダンガンロンパ1&2は同様のフィクションである……との事。
いやぁ事前にネタバレ食らいに行って、それでも
メタフィクションが好きだからと賛否両論と知りながら突っ込んだわけですが、とても痛かったです。
今回ソロプレイのゲームで初めてコントローラーを投げ出したい、液晶を破壊したい衝動が湧き出たかもしれません。
様々な感情が胸を流れて、残されたものはとても"悔しい"でした。
2で意図的か偶然か
メタフィクションのような構図になった際はとても興奮しました、その興奮の反響を開発陣は勘違いされたのでしょうか?
どうして過去作のキャラをクライマックスに駒のように扱うのでしょうか? そして自分達がフィクションの存在だと主張するのは構わないのですが、本来彼、彼女らが命を賭して全うした信念と真逆の発言を行わせる行為に悲しみを伴う以上の価値があったのでしょうか?
声優の皆様も自身が演じられたキャラ達を愛していたと思います。それこそ人形に生命を吹き込むよう、自分達がその世界へと没入し。
実際どれほどの情報が与えられ、このようなレコーディングを行ったのかは想像もつきませんが、結果だけを見てしまえば"再度ダンガンロンパシリーズとして声を掛けられ、収録したボイスは演じるキャラそのものを否定する"ものです。
プロの方々がどう作品に向き合えるのかはわかりかねますが、少なくともわたしはそのような開発光景を想像してしまえばとても悔しい気持ちが残りました。
作中作と作中で宣言され虚しいでも、
望んでいない方向性に物語が向かい悲しいでも、
全てを否定したくて、否定されたようで腹立たしいでも、
そのいずれでも無く、わたしが感じたのは悔しいでした。
だからこそ手に持つVITAから距離を離し、悪い夢から覚めたいような強い衝動を覚えたのでしょう。
それは主人公達も似たような感覚を抱いたようで、徐々に口数を少なくし首謀者一人がただ用意されたセリフを並び立てるような冷めた舞台が進み続けます。
救いと言ってはなんでしょうが、少なくともわたしにはこれほどの行いをしてみせた中には、単に驚愕を引き寄せたくて物語を描いたのではなく、いくつかのメッセージが込められていたように見受けられます。
・フィクションであっても舞台にいる存在には命がある
同意します。
そもそもゲームをプレイすると決めた時点で、主人公に没入するしない以前にプレイヤーは登場人物達を架空の存在と認めるようなものです。
ただその前提を敷いた上で、作中の存在が作り物であると強く意識しながら物語は進めませんし、息遣いを感じるような生々しい描写を見つけたら当然評価する要因に成り得ます。
またフィクションと明言されたV3の中の世界で、決して後から設定を付け足したり、死者を蘇らせたりといった安易な舞台の動かし方を取らなかった事は評価できると思います。
・フィクションはノンフィクションに影響を与えうる
同意します。
創作物は消費者に感動を与えます。
それが良い心動く感動なのか、負の感情で揺れ動いた感動なのかは知り得ませんが、何かに対しフィクションをきっかけに一生を捧げ、フィクションを生み出すために一生を費やすのは価値の低い行いとは思えません。
ちなみにここで動く人物達は、
1.ダンガンロンパというデスゲームに魅かれ、今までの記憶を失いこの場にいる主人公達
2.フィクションと知りながら管理役として参加している首謀者(開発陣の代弁者?)
3.ゲームであるダンガンロンパV3を実況風に眺めている様子の視聴者達
4.その視聴者代表である各キャラの操作権を握るプレイヤー
……滅茶苦茶過ぎて世界観どうなってるのかさっぱりなんだよなぁ。
あくまでゲームであるのなら主人公=首謀者=視聴者のような次元で語られるのはおかしいし、
デスゲームという言葉遊びで逃げるのなら現実離れした動きが多すぎてどこからどこまでが架空のものかという線引きが怪しくなる。
記憶自由に操作され、プレイヤーか視聴者か開発陣かとりあえず上位次元の存在に自由に操られる一つ下の次元に落とされる、この二つが少なくとも必要なわけで。
どう考えても与えられた描写や設定からは理屈が通らない箇所が生まれ、わざわざ再プレイしたり深く考える必要があるのかと言われたら嫌なので次に進みましょう。
・フィクションにカタルシスを求めるユーザーの姿は醜悪である
同意します。
激しく同意します、というか前々からわたしは主張している理屈であり、勇者の誕生には魔王の降臨が必要であるように、フィクションである物語に泣けるような感動を求めた場合、登場人物達には悲劇が約束されます。
この摂理が如何に皮肉に塗れ、醜く捻じ曲がり純粋さとは程遠く矛盾し、多くの人々に意識される事なく根付いている文化であるか。
さて、恐らく最後の主張がメインテーマ、あるいは物語として落とし込めるオチに辺り、そこに至るまでに主張されてきた他の意見やそれを見せるために描写されてきた演出。
また
メタフィクションはわたしの好むジャンルであり、ネタバレという地雷原&予防線を意図的に張り巡らし、この設定でこのテーマを演じるには最善と理解した登場人物達の動きに、物語の終わりに理解を示し――
――振り返って良かったかと自問しても、何度自問しようとも答えは否に成ります。
頭も心も納得できないままで、五章までは作品として面白かったにもかかわらず六章で今まで、それこそダンガンロンパ1&2の価値まで下げるような非道を行われ、あぁ面白かったと笑う事はできない。
おかしいですよね、この設定でそのテーマを実現するにはこうすることがベストであると理解しているにもかかわらず、というか趣味や主張がことごとく合った上で予防線もたんと張り巡らしここまで来たはずなのに、それでも拍手できないとは本当におかしい。
まず作品に自身を否定するような物語を与えてはならない、という印象を受けます。当然手段にもよりますが、多くの場合人に受ける事の無い作品になるのではないでしょうか?
次に
メタフィクションとして見ればチープである、と感じます。プレイ時間で
メタフィクションに向き合う割合や、開発陣の中で趣味に合わず本腰を入れる事ができなかった割合が高いのではないでしょうか。
もし問題点がここであるのならば、根底から扱うには不向きだったテーマなのではないかと思います。
プレイヤーに直接語り掛けてきたり、セーブデータ改変からなにまでやりたい放題だった同人ゲーム『Undertale』
全体を通して徹底的に
メタフィクションに向き合っており、"誰も死ぬ必要が無いRPG"というキャッチコピーは"RPGというジャンルは誰かの屍が必須なのか?"と多くの価値観を疑問と共に与えてきます。
SAVEの言葉遊びや、プレイヤーの操作放棄というシステムも既に二年早くこちらが真摯に行っており、V3の価値を低くする一因になってしまったとは個人的に感じます。
「同人ゲームという規模だからこそ、テーマや人員は絞り集中的に開発を行い質を実現できたのでは?」
という疑問(後ろ向きな期待)はサージュシリーズ『シェルノサージュ』『アルノサージュ』に否定されます。
七次元先の世界に実在している、という公式サイトに初めから書かれている設定で繰り広げられる物語に、プレイヤーは記憶を取り戻す事で同じく物語を読み進めていくイオンと共感を覚えたり端末越しのコミュニケーションを主軸にしたシェルノサージュ。
シェルノサージュ後の物語を、七次元先の存在が我々のように協力したり敵対する事でその世界に住まう人々は――とRPG形式で終息へと向かうアルノサージュ……はまぁシナリオや、一部のバランス等の出来で思うところは残るのですが、気に入るか気に入らないかで言えばお気に入りのゲームに入りました。認識としては全体的に面白いが許せないV3と向かい合う形になります。これが単なる趣味か否かは、わたしに語る術はないでしょう。
・総評
1や2はかなり評価できる出来でした。
特に狛枝というキャラを生み出し、設定やそれに負けぬ演出で勝った2はシリーズ作として見ずともかなり強いです。
V3はこの記事で記したものはほぼ全て。他に形容する言葉をわたしは知り得ません。ただ誰かにお勧めする事は決してないでしょう。
恐らく出ないとは思うのですが、今後ダンガンロンパシリーズが出た場合触れるかどうかは悩みます。
順調に面白くなっているのは確かで(実は
推理パートの新システムが十分評価できるものだったりする)
デスゲームという基盤自体は良いのですが今回見事にやらかしてくれた傷跡に、そろそろこの舞台設定ではV3のような奇天烈な真似をしてみせなければ食傷気味感は否めないだろうなぁというちゃぶ台をひっくり返すような懸念。
・独り言
気に入ったキャラ順に脱落していく恐ろしい現実には運命か世界を呪いました。
(最終的には気に入ったものの)冒頭ではまるで興味の湧かなかったキャラ達で繰り広げられるクライマックス、スキルやキャラのエピソード欲しさに交流を深めども5/5まで埋まり切らないで暗転するキャラ達。生半可なホラーゲームでは味わえない恐怖がそこにはありました。